藝術系の大学院を卒業後、現在は自身の制作活動と共に後進の育成にも力を注ぐ、彫刻家の諸岡亜侑未さん。ものづくりを志した原点について伺います。
トップ画像 諸岡亜侑未「Here」/ 2019 / ライムストーン rimestone / W1075 ×D420×H390 (mm)
石彫の力強さに魅せられて
幼い頃から絵画が好きだった私は、美術系の高校に進学しました。高校三年生の頃でしょうか、絵よりも立体作品を見ている方が心がワクワクし、純粋に表現としてファインアートの道に進みたい、彫刻を学びたいと思うようになりました。石を彫り始めたのは大学三年生の頃からです。それまではテラコッタ(粘土)を素材として扱っていました。別の素材も扱ってみたいな、と軽い気持ちではじめた石彫でしたが、慣れるまではものすごく大変でした。体力の使い方が変わることは勿論、なにより石という素材の力強さに圧倒されました。
気付きを与え続けてくれる石
初めての石作品は、全く予期していなかったところで真っ二つに割れてしまい、衝撃を受けましたが、逆に割れたところを作品に組み込んだら面白く変化しました。石は想定外の事が起きる事も含め、自分の力だけではなく、素材と自分が対等な関係でやり取りをしている気がします。とても魅力的な素材です。石によって全く特徴が違いますし、何年続けても慣れることがありません。似たような石でも、彫ると石の癖が全く異なるのです。だからずっと変わらぬ新鮮な気持ちで作品と向き合えているのかとも感じています。
あるがままを受け入れる
学部三年生の時に制作した「最果て」は、私の祖父の死を受け入れる過程で感じたことを表現しています。とても私的な体験ですが、祖父が死を迎えた瞬間は偶然にも私しか病室におらず、深い悲しみに襲われました。祖父の死と向き合えないまま朝を迎えましたが、布団を掛けられている祖父に朝日が当たっているシルエットが、なだらかな山の斜面のように見えて、その姿に何となく安堵しました。それで、この形を作ってみようと思ったのです。
祖父の死を乗り越えよう、と制作に没頭していた私でしたが、制作途中に作品が中央で割れてしまい、祖父がもう一度亡くなってしまったような気がしてすごくショックを受けました。ただ、亡くなった人はもう二度と戻らないし、割れた石も二度とくっつかない。割れを受け入れることで、死を受け入れることができるのではないかと考え、割れた部分をそのまま見せるように展示しました。
そうして「最果て」という作品の後に思い浮かんだのが、卒業制作の「予感」でした。死とは反対の「産まれる」という概念を表現することに対し、自然と自分の中で気持ちがシフトしたことも不思議でしたが、まずはドローイングを描いて、一心に彫り進めていきました。産声を上げる前の、もうすぐ産まれるくらいの赤ん坊が、お母さんのお腹の中にいる時の世界を想像しています。何かが始まる前の予感、みたいなイメージで、タイトルも「予感」と名付けました。悲しみを受け入れた先で今度は、これからの自分、という方に意識が向いたのかもしれません。
現在は、次の世代に教える身になり、生活も学生の頃とは大きく変化しました。今後、状況に応じ、ものづくりに対する表現の仕方や内容が変わっていく可能性は勿論あると感じています。私は自身のウェブサイトに、気持ちを綴る活動も続けています。日常から様々な出来事に至るまで、それらを受け止めて前に進むには時間がかかります。言葉にすることで、私はそれらを少しずつ整理し、受け入れようとしています。
私にとって「自由に何かを表現する、何かを作る」という軸は揺るがないものです。 私の作品は、その時の心理状況であったり、言葉にしにくい内面の感情などを多く反映しています。私自身が軸となり着想したものですが、個人的な体験を掘り下げた先にはいつも、普遍的なテーマが潜んでいると思っています。そのようなストーリーを、作品を通し表現することで、ご覧いただく皆さんが自分の内にあるものと向き合うきっかけとなれば嬉しいです。作品だけ見ても、よくわからない、と思われる方もいらっしゃるでしょう。私は、自分自身と向き合い表現するということは、同時に社会や他者と向き合うことでもあると感じています。これからも真摯に、私の作品を見て下さる方と表現を通し対話し続けたいです。
Profile
諸岡 亜侑未(もろおか あゆみ)
2011年、東京藝術大学美術学部彫刻科入学。同年、とりでアートコンシェルジュ「おめでと1年生」グランプリ 受賞。2015年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。サロン・ド・プランタン賞、平成藝術賞受賞。2017年、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修士課程修了。2018年、池袋アートギャザリング公募展入選。 現在、東京藝術大学美術学部彫刻科教育研究助手。